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週刊Neue Fahne

2013年01月14日号

成功体験への“固執”、組織への過度な“仮託”が不条理を生む

 今やいいふるされている感があるが、かつて日本の高度経済成長期に形成されたさまざまな構造が、いまだに多くの働く人びとの意識を規定してしまっている。それは高度成長期に政治・経済・教育に至る日本の機構が「あまりに上手く機能した」ことによる「成功体験」に起因しているのではないか。
 この「成功」それ自体が機能不全に陥って既に20年も経過しが、今もって日本社会で働く人びとの意識にこびりついている。
 現在企業の現場で働いている人の中には、「従来のやり方の延長線上で何とかなるだろう…」との思いで、これまでのやり方に固執し変化対応を怠る傾向が非常に強い。
 もちろん、周りを見渡せば、いままで当然と思っていたやり方や慣習を捨てなければ、業績貢献はおろか国内外の経営環境に対応できないと感じてはいる。しかし、自らの働き方や仕事のやり方を変えることがなかなか出来ない。

 人は環境の動物である。仕事や働きの場面で仮に満点ではなくとも、今までのやり方でなにがしかの「及第点」が取れてきたという環境の下では、これまでのやり方でつつがなく進行するだろうと思い込んでしまうものだ。いや、思っていたいものだ。そして「自分はいままでずっとこのやり方でやってきた。それで不都合はなかった」と自己合理化してしまうものだ。
 一方で状況への変化が必要との思いから「強力なリーダーシップ」を求め始める。この思いは至極当然である半面で、非常に危険でもある。なぜなら自らが変わることを前提とせずに他人への過度な“仮託”を繰り返すことになるからだ。
「格差社会」批判の一環として「自己責任論」がやり玉にあがったことがあったが、自らの働き方や仕事のやり方に無責任なままで、誰かに期待してしまうのは、所詮自分自身を騙しているようなものだ。

 他人への過度な“仮託”がもたらす弊害は、何も今現在において企業で働いている者に限ったことではない。これから企業人として「働きの場」に向かう若者を送り出す場合にも同様なことが起こる。
 親を含めてかつての「成功体験」に規定された大人は、企業人として就職していく学生に自らの経験則である安定志向を植え付け、“寄らば大樹の陰”という価値観を押し付ける。受け入れる側である企業は、かつての成功体験を担ってきた基準値で学生を選択する。その結果として、大量の未就職者と一部のブランド企業を除いた企業で入社後の育成不全による離職者が発生する。
 いま、働きの現場や就職活動の現場で散見される不条理な現象は、高度成長期に形成されてしまったドグマ的意識から解放されていない「悲喜劇」ということが出来るのではないだろうか。
 

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