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週刊Neue Fahne

2013年09月30日号

「部下育成」は管理職が自ら自立した働き方を示すこと

 管理者の役割は上位になればなるほど抽象的になる。ただし、どの階位でも基本は自己の目標管理のもとで、利益の最適化に向けた部下の育成、業務改善、勤怠をはじめとする労務管理の展開である。

「部下育成」は何時の時代にも最重要課題にあげられるが、「部下育成」で悩む管理職が後を絶たない。その原因の一つは管理職の抱く「育成概念」と「育成される側」が抱く「育成への期待」との間にズレが生じているからだ。
 特に最近はこの「育成する側」と「育成される側」の意識のズレが拡大している。「育成される側」にとっては、ある意味で「手取り足とり教えてもらう」ことを期待する。「育成する側」にとっては、「即戦力」願望が強く、「何もかも一から教えていては、自分の仕事が捗らないので煩わしい」という意識が募る。その結果、思わず言葉を荒げたり、部下からの質問等に適切な対応を怠ったりすることになる。部下の「上司からのパワハラ」感情も、その遠因として「育成概念」の捉え方に関する意識のズレによる場合が多い。

「育成する側」は、指導のつもりの叱責や注意喚起が「パワハラ扱いされては、間尺に合わない」と捉える。そのため徐々に部下を「放置」してしまうことになる。「育成される側」は、「手とり足とり教えてほしい…」、あるいは「教えられていないことは出来ないのが当然だ…」と思い込んでいるケースが大半だ。そのため、「教えを構成する要素」のなかに「時と場合による叱責や注意、批判」が存在していることに理解が及んでいない。こうした反応は、そもそも自分の頭で考え、行動を起こすという教えを受けてこなかった結果でもある。
 ところで、「育成する側」も「育成される側」も互いに「部下育成」へのイメージは、「マンツーマンで手とり足とり教えなければならない…」というものではないだろうか。特に管理職が、単に業務として「部下を教え諭し、指導する」という思いに留まっていると、それは益々「自分にとって面倒で仕事が忙しくヒマがない」という意識が高まる。

 この意識は管理職自身の役割認知が曖昧化されていることで助長される。管理職の役割とは、先にも述べたが自己の目標管理に基づき、担当する部門目標達成に向けたマネジメントである。マネジメントには管理職の責任範疇として「部下に対する責任」も含まれる。
 部下に対する責任とは、部下ができるだけ早く一人前になり、自分の価値基準でひとり立ち(自立)できるようにするということだ。どのような組織においても管理的な立場に立つ者は、経年によって付与される単なる名誉職ではない。
 部下に自立した働き方をおこなわせるためには、何よりも自らが自立した働き方を示すことである。やらされ仕事として管理職がおこなう「部下育成」は、真摯さを欠き時に陳腐となり、悪くするとハラスメントの温床になる。

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