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週刊Neue Fahne

2016年07月11日号

管理職は部下の失敗に寛容であってはならない

 一般的には「部下の失敗の責任は上司が負うものだ」といわれている。部下の失敗に対して素知らぬ顔をしているような上司は、部下からの信頼を得ることはできない。また、部下も失敗を恐れてポジティブな発想をすることなくルーチンワークに満足することになる。しかし、それはあくまでも、最終的に上司が部下に対する“管理責任を負う”という意味であって、部下の失敗をすべて上司が“かぶる”ということではない。

“最終責任を負う”という意味を理解していない管理職は、些末な部下の失敗に対して感情的な叱責を繰り返すタイプと部下の失敗や失態に無沈着なタイプに大別される。感情的なタイプは基本的にマネジメントのイロハを理解していないため本来的に管理職の任に値しない。
 一方で無頓着なタイプの管理職は、決して寛容であるわけではなく、寛容であるかの態度を装った無責任のあらわれでもある。こうした管理職は日常的な部下の失敗や失態を咎めることなく放置して、抜き差しならない段階に陥って手遅れになるまで放置し続けることになる。そして、最後には豹変して部下にすべての責任を転嫁することにもなる。

 管理職は日常業務で部下が犯す失敗の責任については、部下本人にとらせて行かなければならない。もちろん部下が業務過程で相談を求めてきた場合に適時適切な支援を行うのは管理職としての職責である。ところが、相談もせずに業務を進め、失敗した段階に至って結果報告をしてくる部下がいる。こうした部下に対して管理職は、毅然としてその失敗の責任を取らせなければならない。つまり、管理職は部下に“自分で自分の仕事の始末をつける”という「責任感」を植えつけなければならないということだ。
 同時に“仕事のでき”が管理職の期待する水準に達していない場合は、遠慮なく何度でもやり直しを命じる必要がある。たとえ対外的な失敗でも、安易に助け舟を出さないことである。部下ができる範囲でのリカバーを自分でやらせなければならない。時には本人に恥をかかせることが、のちのち本人のためにもなる。部下にとって失敗にともなう恥ずかしさ、悔しさ、苦しさなどの感情を経験することが成長の糧になるからだ。

 管理職は得てして部下の“仕事のでき”がよくない場合、どうしても「自分でやったほうが早い」と思う衝動に駆られるものだ。部下の側には「できが悪くても、上司が直してくれる」という心理が働くものだ。このため部下の中には仕事を中途半端に“食い散らかす”者もあらわれてくる。こうした者に対して管理職は“できが悪ければ自分でやり直さなければならない”“無様な対応を取ると対外的にも社内的にも恥をかくことになる”という緊張感を持たせる必要がある。管理職が部下に対して厳しく対処するとは、“できるまで何度でもやり直させる”という根気強さと表裏一体の関係でもある。
 ただし、管理職が何度もなり直しを命じても期待する水準に達しない部下に対しては、明確に“見切りをつける”勇気も管理職には必要だ。何故なら、自らの業務に対する責任概念が欠如している者への育成ほど無意味なものはないからだ。

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