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週刊Neue Fahne

2018年11月26日号

管理職に不可欠な“部下とともに自分も育つ”という謙虚な姿勢

職場で発生するさまざまな課題や問題が、解決困難であればあるほど、部下は上司の発する「自分だったらこう考える」という発言を求めるものだ。仮に上司の側が明確な解決策を提示できなくとも「自分の考え」を語れない上司に部下は不安を抱くことになる。を持つ。この不安が早晩、不信と不審へと繋がっていくことは自明のことである。
  もちろん管理的な立場に就いている者が、常に部下が抱く課題や問題に対して明確な代案が見いだせるとは限らない。しかし、少なくとも解決に至る道筋やヒントを部下ととともに考える度量が必要となる。部下はこうした上司の存在を頼りにするし、自ら解決に向けての努力を惜しまない姿勢をとるようになる。

  企業組織における役職とは組織から与えられているものである。従って、管理職は部下を正しい方向に導く責務を組織に対して負っている。このため部下を“不安”に陥らせる管理職の存在は言語道断ということになる。この種の管理職は役割の意味を理解していないということであり、遅かれ早かれ力量や器量不足と評価されることになる。そうなる前に自らの身の処し方を考える必要があるということだ。部下から“力量を見抜かれる”管理職も哀れ極まりない。
  部下は管理職の明確な使命感に基づいた姿勢に共感をするものである。この共感は部下にとって学びへの近道でもある。部下から共感を得ることが出来ない管理職が口にする「部下育成」などは、所詮自らと同種の集団を創り出す弊害にしかならない。

  管理職の中には部下の仕事に細かく口出しをする者がいる。正しい知識に基づいた「口出し」であればまだしも、単に自己顕示や自らの存在を誇示することが目的化しているケースもある。さらに偏狭な経験則しか語れない管理職もいる。こうした管理職が横行する職場では、部下にチャレンジするチャンスも与えられないし、仕事を任せることもしない風土に染まってしまう。この結果、部下の発想も行動も萎縮させてしまことになる。そして内心では不満を持ちつつも表面上は上司からの指示を待ち、その指示の内容を自ら反芻こともせずに唯々諾々とした業務展開を繰り返すことになる。
  管理職は思い切り自分の力を試してみたいと思う部下に対しては、チャンスを与えなければならない。ただし、その前提条件は管理職が自ら新しい情報をたくさん仕入れ、自分自身が勉強熱心でありつづるということだ。不勉強な上司の下で勉強熱心な部下など生まれるはずもない。部下を育てようと思うならば管理職自身が「部下とともに自分も育つ」という意識でなければならない。

  管理職は自分に対しても周囲に対しても謙虚さを持ち、好奇心旺盛で、勉強熱心でなければならない。もちろん、部下の失敗について、理由はどうあれ、最終責任は自分に帰するものであるという胆力を持っていなければならない。管理的立場に立つ者が部下を指導・育成する場合にとるべき姿勢は二つに収斂される。
  第一は、自分自身が自らに課せられた仕事をミッションとして捉え、自らの気概のある働き方を堅持した行動を展開することである。このためには管理職自身が自らの使命を言葉として発していく必要がある。つまり、会社という組織体を通じて、“自らが社会に対してどのような価値を提供しようとしているのか”、“仕事を通して自分の理想とする将来イメージ”を自分の言葉で臆せずに語ることである。
  第二は、もし第一を堅持することができないと判断したならば、さっさと管理職たるポジションを会社に返上して一人の工数労働に徹することである。

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