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週刊Neue Fahne

2023年05月22日号

マネジメント行動の再検証-2-自分の成長と部下育成は同意語

目まぐるしく変化する経営環境の下で企業組織は、それぞれ生き残るために自らを必死に変化させていかなければならない。この変化を担うのは企業組織の基幹である管理職である。従って、企業組織の変化の帰趨は管理職の変化にかかっている。そして企業組織が生き残るために必要な管理職は、貴重な人的資本として尊重される。
  企業組織は組織運営を担う中核として機能する管理職を希求し育成に躍起になる。当然のことながら管理職も意識的に学びの機会を作らなければ自己変革などできない。役割・機能を自覚する管理職の試金石となるのが今日の変化状況を「厳しい」ととらえるか、「チャンス」ととらえるかのという時代認識である。一昔も二昔も前のように“経年により一定のポジションが与えられる”などと“のほほん”と待ち望むことなど無理である。
 
  企業組織が求めているのは単に自分だけが変革することができる管理職ではない。企業はこうした変革意欲を周囲に伝播させることができる管理職を求めている。端的にいえば部下を育成することができる管理職に求めている。自らを変革しつつ部下育成をすることができる管理職とは、突き詰めるならば「育成した部下が自分を乗り超え、将来的にその部下の下で自分が働くことさえも潔し」と認識できることである。
  この認識が備わっているならば役職定年や再雇用後も「働かないオジサン、オバサン」などと揶揄されることはない。逆に自分が育てた部下に対していつまでも「上位者意識」を持ち続けている管理職は、企業組織の「お荷物」になってしまうことは必定である。つまり、管理職にとって部下育成とは恒常的に自分の影響力、ひいては存在を徐々に消し去っていく過程である。もちろん管理職が「部下育成の姿勢が備わっていない」と判断されたならば、早々に降格の対象となる。

  管理職が自分を乗り越える部下を育成することができなければ、いつまでたっても組織が成長することができない。何故ならば育成の側である管理職が現在保有している能力を凌駕する能力を部下に提供できるはずがないからである。この種の管理職に育成された部下は指導した管理職の力量を超えることはない。つまり組織全体が現在の管理職レベルに固定されることになる。管理職レベルを超える潜在能力を保持している部下は、「この上司からは学ぶべき事柄はない」と感じ取り、さっさと転職なり起業をすることになる。
  企業組織内で「人材が育っていない」という現象は、育っていないのではなく「管理職が部下を育てるレベルに現時点で達していない」という実体を直視する必要がある。一般的に人は自分の能力に基づいた基準に沿って物事を判断する。管理職のレベルが低ければ通常の場合には、自分の能力基準で部下を見るため部下への指導が甘くなり組織力は高まらない。悪くするならば部下との関係性をいつまでも“上下関係として維持していたい”との思いから、自分を超える部下の存在に嫉妬の念さえ抱く危険すらある。

  いつまでも「上司と部下の関係でありたい」を願う管理職と能力ある部下に嫉妬する管理職に共通している心情は、部下への恐れである。いつまでも上下関係を維持していたい管理職は「物わかりのよい上司」を演じて部下の機嫌を取りはじめ指導が甘くなる。能力のある部下に嫉妬する管理職は、部下の成長意欲を挫く振る舞いや所作を取ることになる。
 部下を育成するとは部下に「多少の無理をさせる」ということである。無理せずに、能力を高めることはできない。同時に管理職自身が今の自分に満足することなく、日常的に自らに「負荷をかけている」という姿勢を部下に見せることができなければならない。また、いつまでも「上下関係」を維持することなどできないことを自覚し、自分を超える部下、超えていく可能性のある部下の存在を誇りとする度量や割り切りが必要である。この意味で管理職にとっては、自分の成長と部下育成は同意語である。

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