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週刊Neue Fahne

2014年09月15日号

“やり過ごす部下”から学ぶ管理職の指示・命令の妥当性

 管理職にとって、自分の指示・命令に対して忠実に反応・対応する部下の存在は、非常にありがたく感じるものだ。その反対に忠実に反応しない部下は「煙ったい存在」に映るかもしれない。とりわけ、指示・命令を無視とはいわぬが“やり過ごす部下”の存在は実に腹立たしく感じるものだ。
 管理的立場に立っている者は、往々にして“自分の命令に対して、部下が服従するのは、当たり前だ”との意識に陥る危険性がある。ともすると自分の指示を真っ先に実行しない部下は、「自分に反発心を抱いている」との思い込みも始まる。

 多発する管理職層による“パワーハラスメント”などは、管理職の側が部下の反応・対応の悪さを自分への反発と錯覚した意趣返しのケースも多いのではないか。企業社会では「上司からの指示・命令」とは、すなわち「業務命令」である。そのため、上司からの指示・命令に従わない部下は、当然にも「業務命令違反」となることは論を待たない。
 一方で問題になるのが、上司からの指示・命令が果たして、常に適切で正しい判断に基づいて発せられているか否かだ。時として上司の側が発する指示・命令がさしたる論拠や推敲によるものではなく「思い込み」や「思いつき」でなされ、部下の日常業務を阻害してしまう現実も決して否定することはできない。
 もちろん自分が部下に発した指示・命令を部下が実行し、その結果が失敗に終わった場合や大きな損失を生み出した途端に「部下の責任」にすり替えるような鉄面皮な上司の存在は論外だ。

 自分が発した指示・命令を部下が意識的か無意識的かは別として、実行しなかったが故に“上司の側が救われるというケース”もあるはずだ。真偽のほどは別として、戦国武将でもっとも人気のある織田信長が、黒田官兵衛が自分を裏切ったと錯覚して人質である嫡男の殺害を木下藤吉郎秀吉に命じた。ところが秀吉はこっそり嫡男を延命させた。信長は後日に官兵衛の忠誠が明らかになった段階で、自分の殺害命令に背き“やり過ごす”という背信を働いた秀吉に救われるという有名な話がある。
 ビジネスシーンではこれほど劇的なものではないにしろ、上司が自分の命令を実行しなかった部下のおかけで救われるというケースは時として発生する。その際にいえるのは、上司の指示・命令が「思いつき」や「その場の雰囲気」で発せられるもので、それを“やり過ごす部下”が往々にして優秀であるということだ。上司の発する指示・命令をしっかりと「咀嚼・選択」して、“今やるべきか、後回しでよいか”を判断できる部下は間違いなく優秀な部下であるといわなければならない。

 管理職はこの種の“やり過ごす部下”から学ぶ必要がある。その意味するところは、自分が指示・命令を発する段階で本当にそれが業務課題として優先順位が高く、業績に寄与する指示・命令なのか。逆に部下の日常業務を邪魔するような屋上屋の業務ではないのか否かを精査するきっかけにもなるからだ。
 優秀な部下は、間違いなく上司の「思いつき」で発せられ、上司自身が後になって指示した内容を忘れるような些末な指示・命令は“やり過ごす”はずだ。管理職は自分の指示・命令を本来のルーチン業務に弛緩を起こしてまでも唯々諾々と愚直に実践する部下は危険であると思う必要がある。
 この種の部下は自分で思考することなく、単に上司の指示・命令を機械的に実行しているだけに過ぎないからだ。この種の部下からは自分の考えに基づくアイデア、上司への適時・的確な助言、そして上司にとって時には必要な下からの諫言も期待することはできない。
 もっとも、管理職があくまでも“自分のいうことを愚直に聞き、なんでも黙っていわれたことを実行する部下が一番大切である”と考えるのは自由だ。しかし、こうした管理職の下では人材は育たない。同時にこうした管理職は自分の上司に対して部下と同じ行動をとっているはずだ。

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