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週刊Neue Fahne

2021年05月24日号

テレワーク下でも普遍のマネジメント姿勢 -9- 行動規範に基づき部下を叱る

「職場の心理的安全性」という言葉がはやり始めているが、心理的安全性をあたかも「職場は居心地の良い状態でなければならない」と誤解しているケースが多い。これはテレワーク勤務であっても同様だ。このためなのか、部下の誤った行動に対して適時・適切にフィードバックを施すことができない管理職が増えている。さらにいえば「何かをいえばハラスメントとなるのではないか」と恐れている傾向もある。
 管理職は部下の失敗や過失を含めた不適切行動に対して躊躇わず叱らなければならない。管理職は部下に「誤りや失敗を犯したとしても非難されない」という誤ったメッセージを決して発信してはならない。しかし、叱る場合でも部下が意欲をなくすようなやり方ではなく、あくまでも成果のために率直に意見がかわされる状態を担保し、前向きな気持ちになれる叱り方でなければならない。

 部下が過失や失敗を犯した場合に管理職は、必ずその瞬間に叱らなければならない。数カ月毎の評価面談などで「あの時の行動は…」などと叱ったところで意味がない。何故ならば時間経過とともに部下は自らの過失や失敗などは忘れるものだ。一方で叱る側には時間経過とともに過去の出来事に対する怨嗟が増幅して、あいまいでエビデンスのない怒りになるからだ。とりわけ管理職は若手社員に対する指導において「厳しくすると、すぐにやる気をなくして、辞めるのではないか」などという月並みでデフォルメされた論調に惑わされてはならない。
  若手社員は「厳しい」からやる気をなくすのではなく、不合理で不条理に叱られることに反発するだけである。管理職が部下を叱る場合には、原理・原則に基づき根拠をもって相手に納得性のある叱り方をしなければならない。その際に管理職の側が自ら育ってきた社会や企業を取り巻く環境と今日の環境との変化を自覚する必要がある。そして、往々にして自分の若手に行っている指導法が、かつて上司から施された指導への意趣返し的な行為になっている現実を直視する必要がある。

 管理職が若手社員を叱る基準は行為行動に対してであり、自らの成功体験をベースにしてはならない。管理職が過去に頑張った経験則などを基準にしても意味がない。あくまでも会社組織に蓄積されている「行動規範」(ルール)を基準にしなければならない。部下に「何に反しているから叱られるのか」を、はっきりと示すことで、部下に対して叱られたことへの納得性をもたせなければならない。行動規範を明示することなく叱ったところで「どうすればいいんですか。ちゃんと分かるように説明してください」と反発されるのが関の山だ。
  管理職自身が行動規範を明示することができないのであれば、部下が不満をいだくのは当然である。行動規範を明示することができない管理職に限って、感情的に部下と接する傾向が強い。何故ならば自らが行動規範に基づかず、単なる経験則で仕事を回してきたにすぎないからだ。管理職が行動規範を明示できないのであれば、叱る行為それ自体が「散漫な気分でなされている」との誹りを受けて当然である。そしてこの行為は周囲からは管理職の情緒不安定に映るものだ。

 管理職が部下を叱るとは単に相手を責める、謝罪させる、あるいは始末書を書かせるということが目的ではない。仕事を合理的に進めていくため組織に存在するルールをはっきりさせ、確認するという指導行為である。これが部下に同じ失敗をさせないことにつながる。叱るということは、同じ失敗の轍を踏まないように部下に考えさせる機会提供でもある。
 そのためには、管理職自身が職場における行動規範を単に遵守するだけではなく、その規範の成り立ちや意味を十分に咀嚼して部下に説明できなければならない。管理職は「自分は上司から叱られ罵倒されながらもやり方をおぼえてきた…。それに引き換え今の部下は…」などという牧歌的で閉塞的な郷愁を自ら打ち破らなければ、前時代の遺物扱いされて化石化することになる。

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