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週刊Neue Fahne

2013年03月04日号

常に主語は「自分」であることを忘れてはならない

 さまざまな社内研修の現場で参加者に意見を求めることがある。その際の発言者で気になることがある。それは発言が常に「われわれ…」とか「わが社では…」という主語から始まるということだ。グループでの議論の結果を発表する場合には当然「われわれのグループでは…、○○という結論に達した」という発表がなされて当然である。
 しかし、個人の意見を聞いた場合でも概ね「われわれとしては…」という複数人称を主語に持ってくる参加者が多い。

 よく海外のビジネスマンが日本のビジネスマンに向かって「自分の意見をいわない」という類の批判をする。必ずしもこの批判のすべてが的を得ているとは思わない。往々にして「われわれ」という主語によって、自らの意見や考えの開示を婉曲に回避していると思われているのかもしれない。
 もちろん、商談や会議の現場での交渉事で自らが企業を背負っているので「われわれは…」というのは当然である。また、自らの主張の正当性だけを繰り返すことだけを奨励するつもりはない。まして、海外のビジネスマンからみて批判される「日本の商慣習のなかで定着していると思われる手法」のすべてが、日本と海外の障壁である訳でもないだろう。

 日常の業務行動の中で自らの主張や意見を「自分」という主語で語らない姿勢は、決して謙譲の美徳を意味するものではない。むしろ、「われわれ」という複数人称のなかに自らを埋没させることで、自分自身の責任を回避するという意識を助長しているかのように思える。仮にそうであるならば、この意識は責任回避に留まらず、自らの主体的行動のもつ重要性を顧みず、常に他者に自らの存在を委ねてしまうという傾向にもつながる。
 組織内で個人が他力本願で没主体的な行動をとり続けていれば、おのずとこうした行動の主は、会社組織では協調性がなく、周囲と軋轢を起こして結果的に排除されていくことになる。組織とは「共通の目的」「貢献意欲」=「協働」、そして「コミュニケーション」の3つの要素なければ成立しない。同時に組織を構成する一人ひとりの「自分」の存在が組織にどのような影響力を発揮できるかを考えなければならない。

 会社組織でこうした傾向が全体に蔓延し始めてしまうならば、誰もが「われわれ」を構成しているため自己の存在は、「われわれ」の中に含まれているため、言葉は悪いが「隠れてしまう」ことになる。その結果「いわれた事」は、やるが「いわれない事は、やらない」という風土が組織内に形成されることになるだろう。
 また、会社組織全体でこうした意識が蔓延してしまう場合には、あたかも表面的には「組織が上手く回っている」と組織構成員たちは認識してしまう。組織の怖さとは組織に埋没してしまう個人の発生だ。

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