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週刊Neue Fahne

2014年11月24日号

管理職は常に自分が“その任に値するか”を自問自答すべき

 管理職に求められる責任を一言でいいあらわすならば、“与えられた経営資源を最大限に活用し、部門目標(予算)を達成(利益の確保)すること”に尽きるのではないだろうか。この責任を全うしていくために必要とされる意識と行動は、次の諸点だ。
・会社(組織)方針の正しい理解と、それに沿った部門・部署の運営
・責任感に裏付けられた、上下への積極的な提案の励行
・自らの主体的な努力はもちろん、部門・部署が結果を出すまで満足しない姿勢
・会社(組織)で発生している全ての問題を自分の問題としてとらえる当事者意識
・常に会社(組織)ならびに経営サイドに立った発言や行動
・安易に部下に迎合しない立場の堅持と部下への下問を厭わない勇気

 今も昔も管理職に対して「かくあるべき…」という論調は絶えない。そのいずれもが表現の方法や力点の違いがあるにせよ、それ相応に“的”を得たものであることは確だ。一方で今日では、従来にも増して管理職には漠然とした抽象的能力ではなく、明確な職務適正が鋭く問われ始めていることも現実的なところだ。
 一昔前であれば、ある一定の社歴と経年によって“業務遂行能力は蓄積されてくるはず”との暗黙的了解事項が存在していた。そのため、各企業は一定の年齢に達した社員へのモチベーションと帰属意識を維持するための「給与体系」や「ポスト」を用意してきた。しかし、今日これらは全く通用しなくなっている。最近ではいわゆる古いタイプに属するといわれる企業でも単純に経年によってポジションが決まるわけではない。つまり、飛び級などの人材登用で年功的役職体系の崩れが始まっている。

 管理職の職務能力は机上での学習によって磨かれるわけではない。あくまでも現場における責任、その責任に付随して得られる経験の蓄積によって形成さてくる。従って、若くしてこの種の経験を積むことができれば、それだけ早く大きく職務能力は飛躍していくことになる。
 ところが、この「職務を経験する機会」は、すべての人に一律平等に提供されるわけではない。この機会は自ら経験を積極的に捉えていく姿勢を堅持している者にだけ提供されるものだ。“いずれ自分にもその機会が来るであろう”というスタンスでいたならば永遠に機会は訪れない。自らどこに身を置いているかによって、自分自身の成長の度合いは変わってくる。この結果、かつての同じ年齢の人たちとは比較にならないほど、個々人の間に職務能力では大きな差がつくことになる。
 今日、「何故こんなことも分からないのか…」と若手社員の間から訝しがられる中高年の管理職が、職場に蔓延し始めているのもこうした原因によるところが大きい。

“一定の定型化されたスキルがある者”がその経験故に管理的ポジションに就くことができる時代背景は既に過去のものとなっている。むしろ、今日こうした管理職は職場の中では「交代可能なコモディティ管理職」と位置付けられる。これからの管理職は“余人をもって代えられない”という存在ではないからだ。
 こうした管理職に位置付けられないためにも、先ずはいま現在で自分に与えられているポジションについて“その任に自分が値するか”をチェックする必要がある。そして、自分がこれまで組織内で“意思決定ができるプロセスに関与していない”あるいは“今後も関与しそうもない”という状況であるならば、呼称としての肩書は別として自分の存在理由が怪しくなっていると自覚する必要がある。

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