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週刊Neue Fahne

2015年06月01日号

“前例”や“慣習”に囚われてはならない

“前例”や“慣習”に従って物事を進めることは、個人や組織にとって非常に楽な行為である。とりわけ、企業内での日常業務においては、前任者のやり方やこれまでの会社のやり方を踏襲することでスムーズに業務が流れることがある。しかし、仮に“前例”や“慣習”を踏襲するにしても、この意味を考えずに繰り返していればよいというものではない。
 特に良い“前例”や“慣習”であれば、これまで踏襲されている理由をしっかりと自分で理解していなければならない。一方で、悪い“前例”や“慣習”と感じている事柄であれば、その弊害の根拠をただして改善していくことに躊躇してはならない。

 個人や企業組織の最悪な行動は、単に「前々から行われているから…」という前例主義に陥ることだ。それは「考える行為」を放棄することと同じであるからだ。確かに企業組織では、代々の経営手法や古くからの「申し送り」のように伝えられている“前例”や“慣習”がある。この種の「申し送り」であったにせよ、その意味や意義をしっかりと自分で掴んで納得せずに繰り返していては、単なる「習い性」で終わってしまう。
 個人の働きでいえば、悪しき前例主義に陥るということは、「新しい事をしたくない」という意識に通じている。つまり、新しい事柄は「自分や自部署の仕事が増えるだけだ」ということだ。疑いもせずに「前例」や「慣習」を繰り返すという行為は、自ら新たなことにチャレンジしていく意識を自ら放棄することと同意語だ。

 慣れ親しんだ仕事に終始しだすと「いわれた事だけを繰り返す」という働きに徹することが、あたかも仕事であるかのように錯覚を起こすことになる。こうした錯覚が組織内に蔓延すると必然的に組織から活性化が失われ堕落の始まりとなる。
 個人や組織に限らず、仕事とは常に新しい課題を見つけることだ。個人であればこの過程での新たな発見や失敗が自分自身のキャリア形成に繋がる。組織であれば、新たな課題設定により淘汰を経ながらも組織力を蓄積していくことができる。与えられた仕事だけをしているならば、個人であれば「使えない人間」とみなされる。組織であれば「社会に有益性を発揮できていない」と位置づけられることになる。

 誰しも「自らが属している会社組織をもっとよくしたい」「自分の業務をもっと効率的に行いたい」と考えるものだ。しかし、この考えは単なる他力的な「憧れ」や「希望」であってはならない。「憧れ」や「希望」の段階に留まっているならば、理想と現実の狭間は縮まらない。そこで、「今の業務内容で十分であろうか」「これまでのやり方でよいのだろうか」という「疑問」や「疑い」という視点が必要となる。「疑問」や「疑い」の結果、変えるべき事柄と判断したならば、果敢に「変える」ことを恐れてはならない。こうした意識は個人や組織に求められる「覚悟」でもある。

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