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週刊Neue Fahne

2020年06月29日号

分岐点に立つ覚悟-5- 組織と自分の「価値観」との整合性

ポストコロナ社会では企業組織での働き方に大きな変化をもたらすことになる。また、この変化は従来の雇用のあり方にも当然のことながら影響を与える。既に瓦解が始まって久しい“安定している会社であれば安泰”という、いわゆる“大企業信仰”という幻想も一段と通用しなくなる。そこで改めて自らが働くことの意義や仕事を行う意味を問い直していくことが必要となる。
  もちろん、この問い直しは雇用形態とはかかわりなく、自らの仕事観を確立していく行為として行わなければならない。とりわけ企業組織での働きにおいては、自らの仕事が社会全体にどのような影響や役立ちを与えているのかを常に反芻する必要がある。つまり、自らの企業内での働きと社会のかかわりを自覚するということだ。別な言い方をするならば、自らの仕事や働きの有用性を確認するということでもある。

  企業組織での自らの仕事や働きの有用性は、常に以下の視点での向き合いにより確認していく必要がある。
・企業が社会から求められる行動に反したことを行つてはいないか。
・企業が提供する商品・サービスが社会に応え得る品質を維持しているのか。
・企業が従業員である自分に求める行動と、自分自身の行動規範が合致しているのか。
  これらの視点は、同時に企業内での仕事に対して自分自身の「価値観」をしっかりと確立していくことでもある。企業組織に雇用される身といえども、仕事に対して自らの「価値観」に反する行動は、自分自身を卑下することに繋がる。また、いやいや行うような仕事は、自分の為にならないばかりか周囲に悪影響を及ぼすことにもなる。

  こうした意味で自らが属している企業組織に対する愚痴を繰り返す行為とは、企業組織への批判を意味するものではなく、自己の存在を否定しているようなものだ。さらにいえば自らの「価値観」を持つことなく、企業組織に自らを仮託してしまうことでもある。従って愚痴からは何も生まれず、組織ぶら下がり人間であることを自己証明しているに過ぎないと自覚する必要がある。
  ひとは第一義として自らの生活の為に働くとはいえ、単に給料のためだけに働いているのではない。もし、給料がすべて、お金がすべてというのであれば、全ての社会的悪行に目をつむってしまうことにもなる。企業組織に身を置き働くということは、顧客や取引先から喜ばれ感謝されるだけではなく、周囲から「認められる」「評価される」という無形の報酬によって、「仕事をしてよかった」という実感を得るということだ。

  報酬とは別の言い方をするならば、仕事や働く上での「手ごたえ」や「やりがい」と表現してもよい。これを体感するためには、自らの「価値観」と企業組織の「価値観」との間で整合性を持たせることが不可避となる。仮に自分の「価値観」が属する企業組織の「価値観」に馴染めないのであれば、自分の「価値観」と企業組織の「価値観」を徹底的に比較検討してみることだ。
  そして、どう考えても自分の「価値観」に企業組織の「価値観」が反しているとの結論に達したならば、それは自分のいるべき企業組織ではないということだ。自らの「価値観」に反するところに身を置くことほど不幸なことはない。これは自らの働きに対する矜持でもある。

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