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週刊Neue Fahne

2023年07月31日号

マネジメント行動の再検証-10-自らの誇りと信念をよりどころにした働き方

 2015年9月の国連サミットで『持続可能な開発のための2030アジェンダ』が採択されて以降、俄かにSDGsが盛んに喧伝されてきた。いうまでもなくSDGsというのは、世界を変えるための17の目標で、世界の国々が様々な意見で対立をしていても「同じ地球に住む以上、これだけは一緒に取り組んでいきましょう」という2016年から2030年までの国際目標である。
 穿った見方をするならばこの目標も2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻に始まる「実質的な世界戦争」という局面からするならば、果たして「持続可能な開発」という概念さえもが空虚になり始めている感がある。ともあれ、二酸化炭素排出による地球温暖化を原因とするといわれる異常気象などを踏まえれば、「持続可能な開発目標」というフレーズに誰しも魅力を感じる。

 日本では一時期ビジネスマンの間で「SDGsバッチ」をつけるのが流行った。ところがこのバッチを着けている日本のビジネスマンたちを見た海外の諸氏は、怪訝な顔つきで「日本のビジネスマンの間では新興宗教でも流行っているのか?」と囁いていたという小噺もあるほどだ。要するにわざわざ「SDGsバッチ」などを着けて、いかにも「私は(わが社)はSDGsに取り組んでいます」など強調する必要もなく「そんなの当たり前」という感覚から発した小噺なのだろう。
 そういえばかつて「社会貢献」という言葉も流行った。企業はそもそも公器である。テレビCMなどで自社の環境保護活動への貢献、地域社会への貢献をことさらに強調する必要もなく「当たり前のこと」である。本来は当たり前の事柄であるにも関わらず、さも新たな取り組みであるかのよう位置づけてしまう行為を嗤うのは簡単だ。これまでの成長概念の枠組みで物事を思考する年配者にとって新しい概念と映る事柄なのだろう。しかし、既にこの概念の枠組みの中で育ってきている若者たちとの間でズレが存在している点に注目する必要がある。

 このズレは働く現場にも大きな変化を起こし始めている。それはこれから就職を控えている若者たちや、若手社員の間に広がりはじめている「就労意識」の変化に見てとることができる。高度経済成長期の就労感や意識に慣れ親しんでいた者からすれば、今日の若者たちの「就労意識」に違和感を持つのは当然だ。「就労意識」の変化とは、実際に就職する段階での会社選択や就職先での自らの「働き方」にあらわれはじめている。
 その特徴とは、「なぜ自分は働くのか」「何のために自分は働くのか」ということを真剣に問い始めているということだ。そして「社会の為になる仕事をしたい」ということに結び付ける。これに対してかつての高度成長並びにその残滓の下で育ってきた中高年が「ハングリー精神が欠如している」と嘆いてもまったく意味がない。今日の若者が求めるのは、仕事から得られる達成感や仕事を通した自分自身の成長、新たな人との出会い、他者との関わりでの自分の果たしている役割を重視している、といっても過言ではない。

 こうした意識に対して、現場で日々の仕事に汲々としている世代の側からするならば、「何を青臭いことを今さら…」という批判の声が聞こえてくる。しかし、彼ら(彼女ら)にとっては、いたって真摯な課題であるということを理解する必要がある。これはかつて日本の職場で当然に語られてきた「働きがい」の重視や「働く喜び」の体感という意識の再来とも捉える事ができる。
  誰しもが「仕事」は、単に「お金の為だけ」とは思っていない。お金は生活の糧ではあるが、それ以上に「仕事の喜び、楽しさ」を求め、自らの働きが他者から評価・認められたいと思うものだ。働くということは、自らの誇りと信念をよりどころにしなければ、単なる苦役に終わってしまうものだ。最近、盛んにいわれ始めている「静かな退職」も実のところ、企業の側がこうした若者世代の就労意識の変化を「読み誤った」結果のあらわれなのかもしれない。

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