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週刊Neue Fahne

2023年08月28日号

マネジメント行動の再検証-12-働きに対する根源的問いかけを繰り返す

企業組織に雇用されるという意味は、雇用の形態にかかわりなく企業と働く者が契約関係にあるということだ。そこで企業での仕事に対して自分自身の「価値観」をしっかりと確立していくことが重要となる。いくら企業組織での仕事といえども、自らの「価値観」に反する行動は、自分自身を卑下することに繋がるものだ。また、いやいや行うような仕事は、自分の為にならないばかりか周囲に悪影響を及ぼすことにもなる。
 同様に自らが属している企業組織に対する愚痴を繰り返す行為は、建設的批判を意味するものではなく、自己の存在を否定しているようなものだ。さらにいえば自らの「価値観」を持つことなく、企業組織に自らを仮託しているのと同じである。従って愚痴からは何も生まれず“組織ぶら下がり人間”であることを自己証明しているに過ぎない。

  企業は従業員に給料を支払うために存在しているものではない。上司はもちろん周囲の人たちも、それぞれ役割を担うために存在している。自分で努力をするという行動をとらず、常に「誰かから何かをしてもらおう」と思っていては、自分自身の成長をストップさせることになる。働き方において自らを単なる「勤め人」と位置づけている意識にとどまっているならば、いつしか、「会社は給料を保障してくれるのが当然である」という勘違いをすることになる。
  勘違いが高じてくると企業が従業員に対して行う法定外福利厚生や各種の施策なども当然のことと考えるようになってくる。そのため、業種や業態、扱っている商材やお客様の違いなどを無視して、無意味に他社と自社の比較を行いがちになる。こうした勘違いは結果的に周囲のすべての人たちが、自分に「何かをしてくれる」という錯覚を生み出す。さらには何かをしてくれなかったならば「自分は被害者だ!」と錯覚を起こすことにもなる。
  
  周囲から「何かをしてもらう」ことだけを思考しているならば、企業組織で働くことの意義や重要性を理解できなくなるのは必定である。コンプライアンス重視以前の問題として企業組織はそもそも公器である。つまり企業組織の社会性が問われている。一人ひとりが自分の属している企業組織が、社会にどう役に立っているかをいつも反芻しなければならない。
 そこで先ずは以下のような視点で企業と自分の働きについて日常業務を通して、常に意識しておくことが重要となる。
・社会から求められる行動に反したことを行つてはいないか。
・提供する商品・サービスが社会に応え得る品質を維持しているか。
・従業員である自分に求める行動と自分自身の行動規範が合致しているのか。
 
 一人ひとりは自らの生活の為に働くとはいえ、単に給料のためだけに働いているのではないはずだ。もし、給料がすべて、お金がすべてというのであれば、全ての社会的悪行に目をつむってしまうことにもなる。企業組織に身を置き働くということは、顧客や取引先から喜ばれ感謝されるだけではなく、周囲から「認められる」「評価される」という無形の報酬によって、「仕事をしてよかった」という実感を得るということだ。
 これは働く上で「手ごたえ」や「やりがい」と表現してもよい。これを体感するためには、自らと企業組織の「価値観」を一体化させる必要はないが、進むべき方向性が共有されていなければならない。仮にどう考えても自分と企業の進むべき方向性が相反しているならば、それは自分のいるべき組織ではないということだ。自らの「価値観」や方向性に反するところに身を置くことほど不幸なことはない。これは自らに対して「働くことはどういうことか」という根源的な問いかけを繰り返すということでもある。

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