
2026年06月15日号
中小・中堅企業の管理職を見ていると、ときどき不思議な現象に出会う。本人は真面目で誠実であり、決して組織を壊そうとしているわけではない。むしろ部下思いで、人間的にも温厚な人物であることが多い。しかし、その善意が結果として組織を弱体化させているケースは決して少なくない。これは管理職の世界における「悪意無き善意」の問題である。
多くの人は悪意によって組織が壊れると思っているが、現実には善意が組織を蝕むことの方が多い。特に「みんなに慕われる上司でありたい」と考える管理職は要注意である。管理職に求められる役割は、人から好かれることではない。組織を機能させることである。成果が不足している社員には改善を求め、規律違反には是正を促し、ときには個人の希望より組織全体の利益を優先しなければならない。しかし「いい人でありたい」という欲求が強くなると、管理職はその責任から少しずつ逃げ始める。問題行動を見逃し、甘い評価を与え、厳しい指導を避ける。本人は優しさのつもりでも、その判断が組織全体に大きな歪みを生み出していくのである。
この問題が中小企業で発生しやすい背景には、管理職登用の構造的特徴がある。多くの管理職は現場からの昇格組であり、昨日まで一緒に働いていた仲間が課長や部長になる。だから肩書は変わっても意識は変わらない。「自分も現場の一員だ」という感覚を持ち続けるのである。この仲間意識自体は決して悪いものではない。しかし、それが管理職としての役割を上回った瞬間に問題が始まる。
本来、管理職は経営機能の一部である。現場の声を吸い上げることも重要な役割だが、それは組織を機能させるための手段であって目的ではない。ところが仲間意識の強い管理職は、経営方針を現場へ伝えるよりも現場の不満を経営へ伝えることに力を注ぐようになる。部下から嫌われたくないからである。評価も甘くなり、規律にも寛容になる。会議では経営への不満を代弁し、部下からの支持を集めようとする。だがそれは管理職ではない。極端な言い方をすれば労働組合の代議員である。管理職の仕事は支持率を集めることではなく、組織として成果を生み出すことである。
“悪意無き善意”が本当に恐ろしいのは、本人が「良いことをしている」と信じている点にある。管理職は部下を守っているつもりでも、実際には組織の公平性を壊している。組織には原理原則が存在する。成果を出した人が評価されること。ルール違反には是正が行われること。責任と権限が一致していること。こうした原則が守られて初めて信頼が生まれる。しかし、感情が原則に優先し始めると組織は急速に不公平になる。「あの社員も頑張っているから」「家庭の事情があるから」「辞められると困るから」。
こうした配慮は一見すると人間的に映るが、それが常態化すると真面目に努力している社員ほど損をする。努力しても評価されない。ルールを守っても意味がない。そのような環境では優秀な人材ほど先に見切りをつける。そして残るのはぬるま湯を好む人材である。さらに厄介なのは、この種の管理職ほど自分を客観視できなくなることだ。役職が上がるにつれ注意される機会は減り、本人だけが「うまくやれている」と思い込む。しかし現実には部下は提案をやめ、問題を報告しなくなり、静かに転職活動を始めている。管理職本人は最後まで気づかない。なぜなら自分は好かれていると思っているからである。
管理職に必要なのは、自分の判断を疑う姿勢である。「自分は間違えるかもしれない」「見えていないものがあるかもしれない」「自分は他人から観察されている」と考え続けられる人は暴走しにくい。一方で、「いい人でありたい」「みんなの代表者でありたい」という欲求が強くなると、自分の人気や評価を守ることが優先される。そして原理原則より感情を優先するようになる。
管理職が捨てるべきなのは、人間としての優しさではない。捨てるべきなのは「いい人と思われたい」という邪念である。組織に必要なのは誰からも嫌われない管理職ではない。公平な基準を守り、必要な場面では厳しい判断を下し、その責任から逃げない管理職である。人口減少が進み、人材確保が難しくなった現在、若手社員は管理職の質を驚くほど冷静に見ている。原則が守られない組織から人は静かに去っていく。管理職に求められるのは人気ではない。信頼である。そして信頼とは迎合によって得られるものではなく、原理原則を守り続ける覚悟と公平な判断から生まれるのである。
| 一覧へ |
![]()