
2026年09月07日号
地方の中小企業における人材開発を考えるとき、研修や教育の充実だけでは解決できない問題がある。それは、社員が仕事をする際に無意識のうちに従っている「判断基準」そのものである。どのような行動をすれば評価されるのか、顧客から何を言われたら応えるべきなのか、問題が起きたとき誰の判断を仰ぐのか。こうした日々の判断を支えているものを、ここでは「組織OS」と呼びたい。
例えば、メーカーでありながら営業担当者が顧客の要望を聞き、それを社内に伝達することを主な仕事としてきた会社がある。顧客の要求にはできるだけ応え、波風を立てず、長年の取引関係を維持する。この「御用聞き型」の営業は、決して営業担当者が怠けていた結果ではない。むしろ、そうすることが会社にとって正しい行動であり、顧客との関係を守るために必要な行動だと、長い時間をかけて組織全体が学習してきた結果である。だからこそ、経営が突然「もっと主体的に提案しろ」「顧客にNOと言え」と言っても、簡単には変わらない。OSが従来のままだからである。
問題は、このOSが市場環境の変化によって機能不全を起こすことである。顧客の業界が成長している間は、顧客の要求に応え続けることが、そのまま自社の売上拡大につながる場合もある。しかし、市場が縮小し、顧客自身の収益性が低下していけば話は変わる。顧客からの要求を無条件に受け入れるほど、自社の人員や設備、時間が消費され、利益を生まない仕事ばかりが増えていく。結果として、本来取り組むべき新規顧客の開拓や商品開発に資源を振り向けられなくなる。つまり「御用聞き」は営業手法の問題ではなく、経営資源の配分を誤らせる組織構造の問題なのである。
従って、最初に行うべきことは社員教育ではない。経営自身が、現在の組織OSによって何が起きているのかを可視化することである。どの顧客がどれだけの粗利益を生み出しているのか。どれだけの時間と人員を投入しているのか。個別対応や特注対応によって、どれほど社内の生産性が低下しているのか。その一方で、新規開拓や商品開発など、本来取り組むべき仕事にどれだけの時間を使えていないのか。こうした事実を数字と事例によって明らかにしなければならない。社員の「やる気」や「意識」の問題にしてしまえば、組織が抱えている構造的な問題を個人に転嫁することになる。
必要になるのが、外部環境と自社の内部資源を共通言語で捉え直すことである。PEST分析によって政治・経済・社会・技術の変化を俯瞰し、SWOT分析によって自社の強みと弱み、外部に存在する機会と脅威を整理する。重要なのは、分析資料を作ることではない。「これからも、この顧客の言うことを聞き続けることが本当に自社の利益になるのか」「この要求には応えるべきなのか、それとも断るべきなのか」「自社の強みをどこで使うべきなのか」という経営判断につなげることである。メーカーであるならば、顧客の要求を受け入れるだけでなく、自社の技術や商品、製造能力を基盤として顧客に新しい価値を提案する側に回らなければならない。
そこで重要になるのが「NOを言える組織」である。顧客にNOを言うことは、営業担当者の度胸の問題ではない。会社として「なぜNOなのか」を説明でき、その判断を経営が支持できるかどうかの問題である。筋の通らない要求や採算を度外視した要求に対して、担当者一人に判断を委ねれば、結局は従来の「御用聞き」に戻ってしまう。逆に、事実と意見を区別し、顧客の本当の課題を捉えたうえで「その方法ではなく、こちらの方法なら実現できます」と代替案を示すことができれば、NOは拒絶ではなく提案になる。これこそが、メーカー営業への転換である。
OSを変えるうえで最も重要なのが、経営が変革の矢面に立つことである。顧客との関係を変えれば、当然ながら摩擦が生じる。長年の取引先から「今までやってくれたではないか」と言われることもあるだろう。そのとき、営業担当者に「しっかり説明してこい」と丸投げしてはならない。会社として守るべき基準を経営が示し、必要であれば経営自身が顧客との交渉に立つ。社員に「戦え」と言う前に、経営が「会社としてここは譲らない」という姿勢を示すことが必要である。
最後に求められるのが、全社的なアンラーニングである。新しい知識を教えるだけでは、人は変わらない。これまで正しいとされてきた判断基準や成功体験を、一度「学びほぐす」必要がある。「なぜ、これまで顧客の要求を断れなかったのか」「なぜ売上さえ上がれば良いと考えてきたのか」「なぜ営業が独断で見積りを出すことを許してきたのか」。こうした問いを組織全体で検証するのである。人材開発とは、社員に新しい行動を要求することだけではない。社員が新しい行動を取れるように、組織そのものの前提を書き換えることでもある。
人材が育たない会社では、研修を増やす前に「どのような人材を育てるOSになっているのか」を問う必要がある。御用聞きを育ててきたOSの上に、提案型人材を乗せようとしても無理がある。人を変える前に、組織を変える。新しい人材を求める前に、新しい人材が活躍できる環境をつくる。地方中小企業の人材開発において、まず着手すべきは「教育」ではなく、「組織OSの転換」である。
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